日本脱出とは書いてみたものの、ぜんぜん脱出に必要な事柄とかは書いていません(笑)。
はっきり言ってそういう事は皆様の方が詳しいと思います。
ここでは、私が日本で経験したアメリカ大使館と私のだんなと私のどたばたを書いてみました。

私のだんなはアメリカ人で某海軍基地で働いていました。 もう少しで任期が終わると思いつつ、だらだらと何も考えずに引越し準備などをしていました。
で、飛行機のチケットも手配し、あと1週間ほどで日本を発たなければいけないという時になって、「おい、もしかしたら、おれたち、大使館に行かなきゃいけないんじゃないか?」「う〜、やっぱり、行かなきゃだめかね〜」と、大使館に行ってみたんです。
で、移民の手続きに関して全くの無知だった私たちは、窓口に行くだけでいいと思い込んでいたのです。

そして長い間、待たされ、やっと大使館の人と話し、その時初めて「移民ビザ」を取らなければ ならない事を知りました。係りの人は「本当は1年以上も前に用意しておくべきことなんですよ。」とお説教(?)し始めて、私たちはただ、下を向いている事しかできませんでした。

しかし、その時、私は妊娠5ヶ月(爆)。それも双子(爆死)。
係の人に「でも、妊娠してるから、なるべく早くアメリカに行きたいんです〜(涙)。」 やっぱり、子どもは夫婦がそろって協力して生まなければ、よい家庭は築けません。」等のありったけの気持ちを伝えました.
で、係りの人は根負けしたのか、なんだかよくわからないが、「じゃ、普通なら郵送する書類なんですが、今渡しますので、この場で必要な事を書き込んで、そこで写真を取って、できたら、また私の所に持ってきてください。」と言ってくれました。
その場でせっせと書類に記入し、また必要なほかの書類も後日、すべてそろったら直接大使館の方に持ってくるようにと言われました。 (注意・通常は送らなければならない。)
で、係りの人に、「夫はあと一週間でアメリカに行ってしまうのですが。」と 言うと、「あ、だんなさんはもういいですよ。サインと写真が必要なだけですから。」と 素っ気無い答え。
え?って事はあとはみんな私一人が苦労するのぉ?と顔に線が入りました。 妊娠中もあって、やたらと感情的になり、「この世の終わり」と思ったくらいでした(笑)。

そして、健康診断・だんなの新しい会社の雇用証明書・銀行の残高証明書・等々を揃えました。
健康診断は本当は基地の中の病院で発行してもらえるのが一番ですが(無料だし)、予約は3年先まで埋まってました。
しぶしぶ病院リストの中から一番早く予約が取れるところに行きました。 本来なら3万円くらいかかる書類を、「君は妊娠してるから、レントゲンは取らなくていいです〜。」と、簡単な健康についての口頭インタビュー+虫歯の検査をして、1万5千円を払いました。

そして、書類がすべてそろったのが、約2ヶ月後。
気もそぞろに「よっし、全部そろったぞ!!!!!」と明日にでも朝一で大使館〜とるんるん気分(死語)でいたのですが、その当日、朝からワイドショーは沸いていました。
某新興宗教の教祖が逮捕されるであろうと大騒ぎだったXデー。
私の行く所は都内の大使館。。。。 朝、テレビを見て出かける用意をしていた私に向かい、 同居(?)していた母が「あんた、本当にこんな日に行くのかい?」「また毒でもまかれて、 あんたが巻き込まれたら、あんたじゃなくてお腹の二人も危ないんだよ!!!」と説得をしてたが、私は毒でも何でもやってこい!と息巻いて、書類を提出しに行きました。

大使館の門のところにはかならず門番の人が立っていて、 「君、なんの用事なの?」とぶっきらぼうに聞いてきます。
「移民の書類を提出しに来ました。」素直にそう言うと、 「君、その書類は郵送じゃないといけないんだよ。」と言われ、どきっとしまそういうと、門番の人も「あそ、じゃ、いいけど。あんまり揉めないでね。」としたが、 「あの、妊娠中なんで、急ぎなんです。係りの方に直接持ってきてもいいと言われました。」
なんだか、私の顔は犯罪でも犯しそうにしていたのかは知らないが、 無事に門は通れました。

書類を提出し、係りの人は丁寧に次にすべき事を教えてくれました。 妊娠7ヶ月以前には飛行機に乗るのが一番いいので、 係りの人はその場でインタビューの予約を取ってくれて、 あとはその日を待つばかりとなりました。

そして、インタビュー当日。
順番を待っていて、私のすぐ前の女の子が留学でもするのか、 インタビューを受けていた。
なにやら英語でえらそうな外人さんと会話をしていた。
彼女はつたない英語で「留学します」みたいな事を言っており、 最後に、その偉そうな外人さんは「Good Luck!」と掛け声をかけ、 インタビューは終了したようです。
ほっとしたのか、彼女は一緒についてきたらしい友達に「むっちゃ、緊張した〜(にこにこ)」とお話をしていました。
そんな彼女を見て、「やっぱり、インタビューというのは、アメリカに住むのだから、英語なんだろうな〜。私も英語でしなきゃならないのか!!!!」 頭の中がパニックになっていく私に順番が回ってきました。

インタビューのお相手はやっぱりあの外人さんでした。
胸のところにあるバッジには肩書きが書いてありました。
なんだか偉そうな肩書きだったが、どんな肩書きだったのかは、すっかり忘れました。
「う〜、やだな〜。英語だよな〜。やっぱり〜。」と頭の中はその事でいっぱいだったが、
外人さんは「実はぁですねぇ、書類ぃがたりぬあいんですよぉ。」と 思いっきり外人なまりの日本語で私にそういいました。
一瞬、「何このおっちゃん、しゃべってるの?」と思いましたが、
「え?どの書類が足りなかったのですか?(私の日本語もなんとなくつられて変になっている)」 と聞き直しました。
「だんなすぁんの雇用証明書ぅはあるんですけどぉ、収入がいくらかがくぅわいて(書いて)ないんですよぉ。」 一瞬頭の中がまっちろになってしまった。
あんだけ確認したじゃ〜ん!!!!あのあほたれ〜!!!!!
と、日本でいくら愚痴を言っても仕方があるまい。
「その書類ってすぐ出してもらえるものなんでしょうかね?」
「くわいしゃぁ(会社)の人事部の人にいえばぁ普通はぁその場でぇくれると思いますけどぉ。」
「で、でも、その書類、届くの待ってたら、私、飛行機乗れないんですけど。。。」 (その時、すでに飛行機の予約は取ってあり、その日から2週間ほどで旅立つ予定だった。)
「どわいじょうぶ(大丈夫)ですよぉ。今、American Express(ここだけ英語)がありまぁすからぁねぇ。」
「そ、それって、どのくらいで届くんですか?(混乱しているので、いらん事まで聞いている)」
「早くてぇ3日で届きますよぉぅ。」
「わかりました。じゃ、4日後にまた来ます(真剣)。」
「まぁ、あせらなくても、2週間後にはできますから、どぅぞごしんぷあい(ご心配)なさらなくても いいですよぅぉ。移民許可はその時に出しますのでぇ、その書類をもってきてくだぁさい。」

その帰り道、駅の公衆電話を使いだんなの両親をたたき起こしたのは私だ。 そのころ、まだ新居には電話がついていなかった。
深夜だとは知っていたがいてもたってもいられなく、 だんなのお父さんに「急用なんです!!!」とメッセージを伝える。
次の日、早速電話がかかってきた。
しばし、あんたはなんて人の話を聞いていないの!!!とののしり(爆)、 「あめりかんえきすぷれすだからね!!!!頼むよ。ほんとに!!!」と 伝える。

あせっただんなは早速書類を手にいれ、アメリカンエキスプレスで 二種類もの書類を送ってきた。
またあの門番に会わなければならないかと思うとなんとなく気が重くなる。

が、しかし、そんな事で「私、飛行機に乗れませんでした」とは言えない。
同じようなやりとりが門番と行われて門を通る。
そして、番号札(死語?)をとり、順番を待つ。
朝5時45分に家を出ただけあって、順番はすぐにまわってきた。
「あの○○ですけど、たりなかった書類、持ってきました!!!!!」 鼻息が荒い私をなんとなく怪しい人でも見るような目で係りの人は 私の書類をどこからか持ってきた。
「夫は二種類の書類を送ってきたんですけど、どっちがいいですか?」 とりあえず、両方みせる。
「どっちも同じようなもんだから、どっちでもいいです。」
「あ、そうですか。。。。。」
「じゃ、お昼すぎにカードと書類を渡しますので、それまでどっかで時間でも潰してきてくださいな。」

これですべてが終わったのだ。。。。。。
気がぬけてお腹は空くし、眠いし、しばし、大使館のロビーのこっくりこっくりしてしまった。
そして、脱出の時の飛行機の中では、トイレを我慢し(何度も言うが、妊娠中)、重い荷物を 持ち、税関で何十分も書類検査で時間を取られ、シカゴ航空で迷子になった 事はいうまでもない。。。。。。。

あえて、外人さんとか、係りの人と書きましたが、 約2ヶ月もの短い間にビザがとれた事は 本当に幸運だったと思います。
周りの人の話では、思ったより早く取れたというより、 早く準備しておいてよかったというような話ばかりです。

当時からも、なぜか優遇してくれた大使館の 皆様に感謝をしていますが、 この機会に、ここにも、 感謝の気持ちを記しておきます。

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